宅地造成の設計図書に「円弧すべり安全率 Fs=1.50」
と書かれていても、円弧すべりそのものの意味や前提条件が
何となく曖昧なまま、チェックだけこなしている技術者は
意外と多いのではないでしょうか。
特に、熱海の土砂災害以降は盛土規制法が施行され、
「宅地造成盛土の安全性をどう説明するか」という場面が
確実に増えています。安全率の数字だけでは、
住民や行政に納得してもらうことは難しくなっています。
筆者は建設コンサルタントとして、地質調査や斜面安定解析、
宅地造成盛土の検討に長年携わってきました。
その経験を踏まえて、宅地造成を前提に、
円弧すべりの基本と盛土規制法との関係を整理します。
この記事では、円弧すべりのイメージから、
修正フェレニウス法による安全率の考え方、
宅地造成盛土での解析フロー、さらに熱海の災害を契機とした
盛土規制法のポイントまでを一通り解説します。
読み終える頃には、「円弧すべり=ソフトのブラックボックス」 という感覚から一歩抜け出し、宅地造成盛土の安全性を 自信を持って説明できる状態に近づけるはずです。
円弧すべりとは?宅地造成盛土で想定する破壊モード

結論:宅地造成盛土の代表的な崩壊形態の一つ
結論から言うと、円弧すべりとは「すべり面がほぼ円弧状になる 斜面崩壊を仮定したモデル」です。
宅地造成盛土では、宅盤の直下やのり面内部に弱い層がある場合、
あるいは盛土が高い場合に、盛土全体が円弧状の面に沿って一気にすべる破壊形態が
しばしば問題になります。
この破壊モードを数量的に評価するために、
円弧すべりを仮定した安定計算を行う、
という位置付けになります。
宅地造成盛土で円弧すべりが問題になる典型場面
宅地造成盛土で、円弧すべりを特に意識したい条件は
次のようなケースです。
- 造成地全体を厚い盛土で埋め立てている場合
- 盛土の下に軟弱な粘土層や火山灰質土が分布している場合
- 既設擁壁の前面に、追加で盛土や宅地造成を行う場合
- 残土処分やずさんな盛り土が斜面上部に行われている場合
こうしたケースでは、のり面だけでなく宅盤も巻き込んで
大きな円弧状のすべりが生じる可能性があり、
宅地防災の観点から最も注意すべき破壊モードになります。
円弧すべりと安全率の基本的な考え方
円弧すべり解析で求める安全率 Fs は、
すべり面に沿った「抵抗」と「駆動力」の比です。
- 分子:すべり面に沿うせん断抵抗モーメント
- 分母:すべり面に沿うすべりモーメント(駆動モーメント)
概念的には、次のように表せます。
Fs = 抵抗モーメント ÷ すべりモーメント
Fs が 1.0 を上回っていれば、
「仮定した円弧すべりに対しては安定」と判断できます。
さらに、基準で定める目標値(例:常時1.5 や 大地震時1.0 など)
を満足しているかどうかで、設計の合否を決めていきます。
宅地造成盛土と円弧滑り面法の関係

宅地防災マニュアルが示す標準的な考え方
国土交通省の宅地防災マニュアルでは、
盛土のり面の安定性について、円弧滑り面法による検討を 標準とすることが明記されています。
さらに、円弧滑り面法のうち、
簡便なフェレニウス式(いわゆるスウェーデン式、
修正フェレニウス系)が標準とされており、
現地条件に応じて他の安定計算式を用いることも
認められています。
つまり、宅地造成盛土のり面安定は、 「円弧すべり+フェレニウス系の方法」が基本形
と考えて差し支えありません。
修正フェレニウス法を基本とする実務
実務で広く使われる斜面安定計算ソフトの多くは、
内部計算のベースとして修正フェレニウス法を採用しています。
考え方は次の通りです。
- 円弧状のすべり面を仮定し、その上の土塊を
細長いスライスに分割する。 - 各スライスの自重や水圧から、すべり面に垂直な力と
せん断強度を求める。 - 円弧中心に対するモーメントのつり合いを取り、
抵抗モーメントとすべりモーメントの比として
安全率 Fs を計算する。
従来の単純フェレニウス法を改良し、
モーメントの扱いをより妥当な形に整理した手法であり、
精度と計算のしやすさのバランスに優れた標準的な方法
と言えます。
宅地造成盛土における安全率の目安
宅地造成関連の基準では、詳細は自治体によって
多少異なりますが、おおよそ次のような考え方が
採用されています。
- 常時の盛土のり面安全率:Fs≧1.5 程度を標準
- 大地震時の安全率:Fs≧1.0 程度を目標
- 必要に応じて残留変形や被害想定も検討
特に宅地の場合、崩壊が直接居住者の生命に結びつくため、
道路盛土より高めの安全率が要求される整理になっています。
宅地造成盛土での円弧すべり解析フロー

1. 解析断面と検討ケースの設定
最初のポイントは、どの断面で、どの状態を検討するか
を明確にすることです。
宅地造成盛土では、例えば次のようなケース設定が
一般的です。
- 地下水位が落ち着いた長期安定時
- 大地震時(設計水平震度を作用させる)
断面形状としては、代表的な宅盤列を通る縦断方向の断面や、
法肩から法尻までを含む横断方向の断面を選びます。
宅盤位置、道路位置、既設擁壁との取り合いを
図面で整理してから解析に入ると、後の調整が楽になります。
2. 土質定数と地下水条件の整理
次に、ボーリングや室内試験をもとに、
土質定数と水位条件を設定します。
- 盛土材、既存地盤、軟弱層ごとの γ、c、φ
- 有効単位体積重量(地下水位や浸潤線を考慮)
- 全応力定数と有効応力定数のどちらを使うか
短期の施工直後や急激な降雨を評価する場合は全応力、
長期安定を評価する場合は有効応力を用いるなど、
荷重条件と土質定数の整合性が重要です。
宅地防災マニュアルでは、盛土材に対して
現場含水比や締固め度に近い条件でのせん断試験を
原則とする考え方が示されており、
設計でも可能な限りそれに沿うことが望ましいです。
3. 円弧すべり面の探索と臨界すべり円
解析ソフトでは、すべり円の中心と半径の範囲を設定し、
多数の円弧候補について自動的に安全率を計算します。
- 法肩付近から宅盤背面を通る浅いすべり
- 盛土基礎地盤を大きく巻き込む深いすべり
- 既設擁壁や地山の弱層を通過する複合的なすべり
これらを一通り含むように探索範囲を設定し、
最小の安全率を与える円弧(臨界すべり円)を抽出します。
探索範囲が狭すぎると、本来危険なすべり面を
見落とすリスクがあるため、構造物の規模より
一回り広い範囲を候補に含めることがポイントです。
4. 結果の確認と対策立案
臨界すべり円と安全率が求まったら、
まず基準が求める Fs を満足しているかを確認します。
満足していない場合は、次のような対策案を
検討することが一般的です。
- 法勾配を緩くする(のり面勾配を 1:1.8 → 1:2 などに変更)
- 盛土高さを抑える、宅盤高さを下げる
- 押さえ盛土、腹付け盛土を設置する
- 強度定数の良い盛土材料を使用する
- 補強土壁やアンカー工を併用する
重要なのは、臨界すべり円の形状と対策の内容が 論理的につながっているかどうかです。
図面上で「どの土塊をどう押さえ込むのか」を
説明できる状態まで整理しておきたいところです。
熱海の災害と盛土規制法が厳しくなった背景

2021年 熱海市伊豆山土石流災害の概要
盛土規制法が厳しくなった背景には、
2021年7月3日に静岡県熱海市伊豆山で発生した 大規模な土石流災害があります。
記録的な大雨の中、山腹に造成された盛土が崩壊し、
土石流となって下流の住宅地を直撃しました。
多数の民家が流失し、最終的に死者と関連死を含めて
28人に達したと報告されています。
崩壊したのは、元々は山林だった斜面に造成された盛土であり、
不適切な残土処分や管理不十分な盛土が
被害を拡大させたと指摘されています。
旧・宅地造成等規制法の限界
この熱海の現場は、当時の宅地造成等規制法(旧宅造法)
の規制対象外だったことが、大きな問題として
クローズアップされました。
主なポイントは次の通りです。
- 対象が「宅地造成を目的とした区域」に限定されていた
- 森林法や採石法など、他の法律の対象外になるような
グレーな盛土が存在していた - 面積 1ha 未満の盛土は、森林法の許可対象外となり、
結果として実質的なノーチェック状態だった事例があった
熱海の盛土は、森林法や県条例の枠内から
こぼれ落ちる形で、十分な規制が及ばなかったと
指摘されています。
この「法のすき間」が、違法・不適切な盛土を
見逃す構造になっていたことが、社会的に
大きな問題となりました。
盛土規制法(宅地造成及び特定盛土等規制法)の制定
こうした反省を踏まえ、国は
宅地造成等規制法を抜本的に改正し、
法律名も含めて大きく見直しました。
- 新しい法律名:
宅地造成及び特定盛土等規制法
(通称:盛土規制法) - 令和4年法律第55号として公布
- 令和5年5月26日に全国一律で施行
盛土規制法のポイントをまとめると、
次のようになります。
- 土地の用途にかかわらず規制
- 宅地だけでなく、森林や農地なども対象
- 危険な盛土等を全国一律の基準で包括的に規制
- 規制区域の二本立て
- 宅地造成等工事規制区域
- 特定盛土等規制区域
人家等に被害を及ぼし得るエリアを
都道府県等が指定し、許可制とする。
- 責任の所在と罰則の強化
- 盛土の施工者や所有者の責任を明確化
- 違反に対する命令や罰則を強化
背景にあるキーワードは、
「違法・不適切な盛土を全国レベルでつぶしていく」
という強いメッセージです。
宅地造成技術者にとっての意味
宅地造成を扱う技術者にとって、盛土規制法は
次のような実務的インパクトを持ちます。
- これまで対象外だった山林や谷埋め部の盛土も、
規制区域に入れば設計と許可が必須になる。 - 円弧滑り面法による安定計算が、
これまで以上に「説明責任の中核」となる。 - 設計だけでなく、施工管理や完成後のモニタリングまで
一体として安全性を考える必要がある。
熱海の災害を踏まえた盛土規制法は、
「目的に関わらず、盛土は安全性が担保された盛土でなければならない」
という当たり前の原則を、法律としてより明確にしたもの
と捉えることができます。
その他の盛土(道路・河川)との違い

道路盛土や河川堤防でも円弧すべりは基本
道路盛土や河川堤防でも、
斜面安定の検討には円弧すべり解析が使われます。
ただし、目的と求められる性能が宅地とは異なります。
- 道路盛土:交通機能の確保と地震後の復旧性が重視
- 河川堤防:洪水時の耐浸透性や越水リスクとの関係が重要
そのため、安全率の目標値や設計水平震度の設定は、
宅地造成盛土とは別の指針に基づいて決められます。
宅地造成盛土は「人が住む場所」であることが最大の違い
一方で宅地造成盛土は、崩壊が直接住民の生命に
つながるという点で、道路や河川よりも
厳しい視点が必要になります。
崩壊した場合に「通行止めで済む」のか、
「住宅ごと流される」のか、という違いは非常に大きく、
盛土規制法もこの点を強く意識して設計されています。
その意味で、道路や河川の基準は
「考え方の参考資料」程度にとどめ、 宅地造成専用の基準とマニュアルを主軸に据える
というスタンスが現実的だと考えられます。
まとめ
最後に、本記事のまとめです。
- 円弧すべりとは、すべり面がほぼ円弧状になる斜面崩壊を 仮定し、極限平衡法で安全率を評価する基本モデルです。
- 宅地造成盛土では、盛土のり面や宅盤直下の安定性を
評価するために、円弧滑り面法が標準的な手法として
採用されています。 - 実務で使われる多くのソフトは、
修正フェレニウス法をベースに安全率 Fs を計算しており、
臨界すべり円に対する Fs が設計照査の中心となります。 - 解析では、断面形状、土質定数、水位条件、荷重条件を整理し、
全応力と有効応力の使い分け、探索範囲の設定などを
丁寧に行うことが重要です。 - 2021年の熱海市伊豆山土石流災害を契機として、
旧宅地造成等規制法は抜本的に改正され、
宅地造成及び特定盛土等規制法(盛土規制法)が施行されました。
土地利用にかかわらず、危険な盛土等を全国一律で規制する
枠組みが整備されています。 - 宅地造成盛土は、人が住む場所そのものを支える構造物であり、
道路や河川よりも高い安全性と説明責任が求められます。
円弧すべりの意味と盛土規制法の背景を理解しておくことは、
今後の宅地造成実務における必須スキルと言えます。

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